昔、長岡市に空襲がありました

長岡花火はその日に鎮魂の意味もあり大きな三尺玉をあげます。私の父は長岡出身です。近衛師団にもかかわらず、最前戦で戦い21年に帰国しました。帰国し、舞鶴につきお金を渡されこれで家を買おうと思ったそうです。しかし、大福餅を一つ買ったらあまり高くてお金の価値が変わってしまった事をしりました。21歳の青年が5年後に帰ってきたのです。まず長岡に戻りましたが、駅から長岡の町を見ると焼け野原でした。列車に乗って東京に行きました。駅に降りると駅前だけでなく、駅浦も闇市で賑わっていたそうです。これから自分は新潟に行き、家を建て駅浦にも土地を買うぞと思ったそうです。私の両親はとてもよく働きその夢は実現しました。

息子の知り合いの方が昨日、長岡花火🎇を見せてくれました。三人で並んで花火を見せてくれました。感動は言葉では表せないないものでした。Sさんが車で連れて行ってくれなければ、こんな気持ちにはなりませんでした。ただの知り合いのおばさんまでもだんどりよくのせてくれて感謝しています。花火を見上げながら両親を思い出していました。戦争は絶対反対です。

夏の夜に

空襲警報のあとの

三尺玉

横にいる息子と似ている

父の顔を思う

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